岡崎図書館事件、もう一つの真相(フィクション)

 先週末、情報ネットワーク法学会とデジタルフォレンジック研究会共催の「技術屋と法律屋の座談会」というイベントに参加してきました。パネルディスカッションの中で、これからの利用者が考えるべきことというようなお題で、次のような意味の意見を表明させて頂いた。

利用者として、自動化がどこまで許されるかについては慎重に考える必要がある。自分では当たり前だと思っても、他の利用者からすると何かずるをしているように見られる可能性もある。電車の席に座ろうとしたら、若者が後ろから走ってきて座ってしまったというような印象を受ける人がいるかもしれないことにも配慮すべきだ。

 この考えをもう少し進めると、岡崎図書館で起きた事件にもう一つのシナリオが見えてくる。それは図書館関係者は、初期段階からクローリングの意図を知っていたというものだ。


 最初は原因不明のトラブルだったのかもしれない。図書館が運用業者に問い合わせてログ情報を入手すると、1秒に1回という普通の利用では考えられないようなアクセスがあることが判明する。しかし考えてみてほしい。そのログにはアクセスしていたページの情報が残っているし、それは最も気になる内容だ。ログからは、毎日毎日同じ新着図書のリストを同じユーザが繰り返し取得していることがわかる。よほどぼんやりした人でない限り、連日取得した新着図書のリストを比較して、差分をとっているのではないかということくらいはすぐに思いつくだろう。自分の図書館のシステムが、最近入ったばかりの本を探すのに不便なことだって当然わかっている。

 さてここで、図書館で働く方々が日々どのような人たちを相手にしているかを考えてみる。図書館の利用者は、ハイテク技術を使いこなしてクローラを自分で作っちゃうような人ばかりではない。備え付けの検索端末を使うのもままならないお年寄りだってたくさんいるのだ。地元の図書館の利用者を見ても、高齢者の比率はかなり高い。彼らが家でインターネットを使って図書を検索したり予約したりしているとはとても考えにくい。朝一番に図書館に来ては、何か新しい本は入っていないかなと新着コーナーを眺めることを楽しみにしている方もいるだろう。そんな本を手にして喜ぶ老人に「よかったですね。それちょうど昨日入庫したばかりなんですよ」などと声をかけるのは、さぞかしうれしいに違いない。

 インターネットが使えるかどうかでデジタルデバイドなどと言われる昨今である。それだけでも情報弱者と強者の格差が表面化しているのに、自動的に毎日最新図書を探し出して、いち早く予約してしまおうとする利用者を、多くの人々に公平なサービスを提供したいと考えるスタッフが苦々しく感じたとしても不思議ではない。もちろん、表立ってそれを禁止することが難しいこともわかっている。でも、できればやめて欲しいなあ、と考えるのを非難できる人なんていないと思う。

 そこにトラブルが発生した。致命的なトラブルではない。そして、それはある特定のユーザからのクローリングによって引き起こされていることもほぼ確実にわかった。これは、自動アクセスをやめさせるためのいい口実だ。システム側に問題があることも考慮しながらも、とりあえず当面の問題を回避するために、自動アクセスをやめさせるようなシステム変更を行うことは理にかなった対応だと説明できる。その修正を図書館からの緩やかな抗議行動と感じ取りクローリングをやめてくれるといいのに、と願ってみる。

 しかし、残念ながらその願いは伝わらず自動アクセスは止まらなかった。警察に相談すると被害届を出すように言われた。警察を通じて一言苦情を言ってもらえば、考え直してくれるんじゃないか程度の軽い気持ちだったかもしれない。もちろん、そのくらいのことで逮捕されるなんて思わなかったし、20日間も勾留するなどとは考えもしなかっただろう。

 逮捕されたと聞いて、そりゃあびっくりしたでしょう。だけど、今更ちょっと脅かしたかっただけだなんてことは言えませんよ。自分は起こっていた事実を正直に伝えたに過ぎない。後は警察が勝手に動いただけなので、私は何にも知りません。で押し通すしかない。


 以上は想像に基づく架空のシナリオで、突っ込みどころも満載だとは思うのだが、これに近いことが起こっていなかったと言い切れるかというと、そうでもないんじゃないかと思う。一見無機質に見えるネットサービスの先にも生身の人間がいて、その人たちがどう感じどう考えるかは千差万別であるということを考えて使わないといけない。自動化した場合は特にそうで、プログラマに要求されるのは単なる開発技術だけではないし、むしろ技術以外の部分の方が重要ではないかとも思う。自分に厳しく、他者には寛容に。

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*1:これもくだらない与太話なので脚注に送ります。『ものすごく穿った見方をすれば、今の新着図書のデータが見づらいのもわざとかもしれない。図書館まで足を運んで新着図書コーナーに来てくれた人だけがそれを目にすることができる。ネットの先の顔の見えない小賢しい利用者よりも、暑い日も雨の日も通ってくれる顔なじみのおじいちゃんに喜んでもらいたいというのは普通の心理でしょう。図書館専用システムを開発運用する事業者が、図書館スタッフと同じ価値観を共有していたとしてもおかしくはない。と空想してみるが、これはいくらなんでも考え過ぎだろう。まさかね…』全部が与太話だろうって? ううむ…

*2:すみません。最後の文章は不必要だったと反省しているので、取り消させてください。黙って削除するのもどうかと思うので、見え消ししますが… もう一つ注目すべき点は、このストーリーの中においては、多くの方が血道をあげて検証しようとしている図書館システムの不具合の真相は、比較的マイナーな問題であるということだ。