製品も褒めないとよくならないでしょ

アスキーネットワークマガジンの2008年5月号前後に書いた記事を再掲。雑誌に載った記事には、出版社の編集が若干入っているけど、これはその前のもの。紙面では編集部が適当なタイトルを付けてくれているはずだが何かは知らない。

 携帯電話を使い始めたのは1994年だったろうか。最初はムーバ D II という機種で、これはアナログ携帯だった。それからデジタルムーバ D II になり、その後 D101、D201 HYPER、D203、D502i、と三菱製の端末を使い続けた。フリップタイプが好みだったので三菱がその生産を止めてから使っていないが、先頃の三菱が携帯事業から撤退というニュースはちょっと残念に聞いた。初期のコンセプトを持ち続けてくれればずっと使っていたはずなのに。

 三菱が好みの端末を作ってくれなくなったので、フリップタイプに近いコンパクトさを持つパナソニックP253i という端末に乗り換えたのだが、この端末が実にすばらしかった。シリーズ番号からわかるように高機能端末ではないので、機能的に特筆することはあまりない。しかし、そのユーザインタフェースが実に使いやすいのだ。使い始めてすぐに、すべての端末はかくあるべきとおおいに感心したものだ。

 ユーザインタフェースがいいと言っても、グラフィックが綺麗だとか、アイコンに凝っているとかそういうことではない。ごく普通のメニューやボタンの使い方が「気持ちいい」のだ。あって欲しいという機能を探すと、ちゃんと出てくる。使いたいと思った機能がメニューの先頭に表示される。ここにあって欲しいと思うボタンが必ずそこにある。そういう地味な気配りの積み重ねが、インタフェース全体が与える印象を大きく左右する。

 P253i で、パナソニックのインタフェースに惚れ込んで、FOMA に切り替える時には P904i を選んだのだが、これは全然駄目だった。P253i では、着信音を選ぶ時に上下キーで音を選び、真ん中のボタンで視聴し、もう一度押すと止まり、また別の音を選ぶという極めて合理的なインタフェースだったのだが、P904i ではまったく違い、いちいち表示を確認しなければ操作できない。いたるところこんな調子でがっかりなのだ。

 さて、ここで書きたいのは P904i の欠点を挙げつらうことではなく、なぜ P253i の優れたインタフェースが継承されなかったのかということだ。開発チームの違いだとかいろんな事情はあるのかもしれないが、評価の高い優れたインタフェースであれば、その程度の障害は乗り越えて継承されて然るべきではないのか。他社の製品を真似るのは抵抗があるとしても、自社製品であれば誰に憚ることなくいいものは真似て作ったらよかろう。

 と、ここまで考えて、自分がすばらしいと思ったあの気持ちは、はたしてメーカーに伝わっていたのかという疑問が出て来た。エンドユーザからのフィードバックは、アンケートとかクレームを通してメーカーに伝えられるのだと思うが、このようにして伝わるのはおそらく悪い点ばかりである。ある機能について大多数のユーザが満足していたとしても、メーカーに伝わるのは主として満足しないユーザのものなのだ。

 生存競争の原理に従えば、劣ったものが淘汰されて優れたものが生き残るはずなのに、これではまるで逆じゃないか。次の世代では、無言だった支持者からの大反発にあって復活するかもしれないが、健全で順調な発展とは言いがたい。これから必要とされるのは、いいものをいいと伝えるためのインタフェースではないだろうか。そんな視点で周囲を観察すると、欠点を伝える手段はあっても、いいところを褒める手段は案外ないものだ。

 そういう試みがないわけではない。サポートページにある「この情報は役に立ちましたか?」というボタンはその例だろう。多数のユーザが参加するコミュニティサイトなどにも例は見られるが、どうも人格を持った対象が多く、無機物を褒める例はあまりない。試しに、携帯電話に「Good Job! ボタン」を付けたらどうかなどと考えていたら、首都高が優良ドライバーを褒めて交通事故を減らす「ホメドライブ」というキャンペーンを開始したそうだ。今年のキーワードは「ホメ」になるか。

(2008年5月)

◇◇