服部真澄 バカラ

バカラ」は、2000年から2001年にかけて週刊文春の連載を単行本化したものだが、実は連載がはじまる前に著者の服部氏から取材を受けている。その後2002年に単行本化された際に、出版社から献本していただいた。おそらく連載の第一回目の掲載誌もいただいたのでそれは読んだと思うが、失礼なことにその後連載中は一度も読むことはなかったし、単行本も開くこともなくオフィスの書棚につい最近まで並んでいたのである。

取材の内容は、本書に登場するオンラインカジノに関することだったと思う。詳しくは憶えていないが、インターネットを使ってカジノサイトを開いて遠隔地から利用することが技術的に本当にできるのかどうかが興味の主体だったように記憶している。何を喋ったかもやはり憶えていない。多分、ネットワークの暗号化は十分実用レベルなので、その上での本人認証や決済の方が問題ではないかというようなことを言ったんじゃないだろうか。ろくな内容じゃなかったのは、本書に自分が喋ったような内容は少しも含まれていないことからも明らかだ。オンラインカジノは、本書のストーリーに大きく関係せず、漠然とした未来の新事業として語られるだけだ。取材を通じてあまり面白いネタが集まらなかったのだろう。申し訳ありません。

今となって悔やまれるのは、僕が当時服部真澄氏の著書を読んでいなかったということ。今頃になって「バカラ」を取り出したのは、最近「龍の契り」「鷲の驕り」と続けて服部さんの本を読んだからである。これらを、特に2作目である「鷲の驕り」を読んでから取材を受けていたとすれば、随分と作家に対する印象が変わっていただろうし、話の内容も違ったものになっていたのに。編集者と一緒にいらっしゃった服部さんはとても上品な女性で、とてもこんなに迫力のある文章を書く方だとは思えなかった。

内容としては、やはりハイテク分野を対象とした前の2作の方がおもしろく読めた。本作品でも、最後に明らかになるちょっとした秘密があるが、そこまでもったいつけるにはショボイ秘密だし、伏線が見え見えなので「なんだよー、それだけかよー」という感じなのである。できれば、小ネタとしてさらりと流してほしかった。

この作品に今ひとつ入り込めないのは、自分にとって馴染みの薄い分野だからという面はあるだろう。「鷲の驕り」には、自分も知っている現実のエピソードが散りばめられていてそれが楽しいというのもあるが (それがちょっと生々しすぎて鼻につくところもあるのだが)、そこで語られる荒唐無稽なフィクションがまんざら空想上のものでもないことが実感できることで楽しさが倍加しているのではないだろうか。服部さんには、コーンウェルのような経験があるわけではないだろうから、資料と取材だけで専門家にも通用する内容を作り上げたということになる。してみると、素人からは只の絵空事に見える「バカラ」で語られる謀略についても、政治や経済に通じている人から見ると案外そうでもないのかもしれない。前の作品から感じとれる作家の取材能力を考えると、そんな風にも思ってしまうのは欲目すぎるか。