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『マナーからルールへ』

アスキーネットワークマガジンの2008年3月号に書いた記事を再掲。雑誌に載った記事には、出版社の編集が若干入っているけど、これはその前のもの。

千代田区が公共地域での喫煙を禁止する条例を制定した頃だったか、「マナーからルールへ」という標語が使われた。これを見て強烈な違和感を憶えたのは僕だけではあるまい。原因は、まるでマナーよりもルールの方が上であるかのような表現である。本来、他人の迷惑になるところで喫煙をひかえるのは個人の良識として実践すべきで、わざわざ規則を作らなければ実行できないのは、社会としてむしろ恥ずべきことだ。

昨今の海上自衛隊イージス艦衝突事故の報道にも、なんとなく違和感を感じていた。海上の運行規則とか、非常時の対応マニュアル、緊急時の連絡体制の不備など、やはりルールに関連する内容が多く取り上げられていたように思う。ある時、誰かが「前から船が向かってくれば、衝突を避けるのは船乗りとして当り前の行為だ」と言うのを聞いて腑に落ちた。船乗りの基本的な心さえあれば、規則や体制がどうであろうと防ぐことができた事故だったのではないだろうか。

セキュリティの世界もルール流行りである。なんとかマーク、なんとか基準、なんとかガイドライン、なんとか資格が溢れ、気の毒に名刺の余白がマークで一杯になっている方もいる。さらに環境や品質、プライバシーなんかも入ってくるから、基準に準拠していることを確認するだけでも大変な作業だ。基準やガイドラインは大いに結構だが、その背景にある心を理解していないと、仏作って魂入れずということになりかねない。

複雑化しすぎた社会においては、基本を実践するためのチェックシートは必要だろう。昔読んだオバQの漫画では、パパが家を出る時に「サテハラタカ」という呪文を唱えていた。財布、定期、ハンカチ、ライター、タバコ、鍵の頭文字である。基準やガイドラインもこれに毛が生えたようなものだと思えばいい。残念ながら、パパはこの後、一番大事なカバンを忘れていることに気がついて帰ってくるのだが。

セキュリティに限らず、すべての物事で肝心なのは想像力だと思う。ところ構わずタバコを吸うのは、周りにいる人々がそれをどう感じるかを想像することができないからだ。中には承知で吸う不心得者もいるだろうが、大半は善良で無知な喫煙者なのだ。イージス艦にしたって、相手の漁船の乗組員が何を考えどう行動するかを想像する努力が少しでもあれば回避できる事故ではなかったのか。

セキュリティで必要なのは、誤用や悪用に対する想像力だ。想定外の操作をする利用者や、入力データが破損する可能性を想像すれば、システムの誤動作を防ぐことができる。さらに、その誤動作を利用して悪事を行なう人物の存在を想像できれば、多くのセキュリティホールは排除することができるに違いない。良きにつけ悪しきにつけ、他者が何を考えどう感じるかを想像できないことが、世の中の様々な問題や事件の原因になっているように思えて仕方がない。

インターネットからの攻撃に備えることも、プログラム中で絶対実行されるはずのない部分にパニック命令を入れることも、市ヶ谷駅のエスカレータで上の人が突然倒れたら支えるか避けるかシミュレーションしてみることも、真冬に暖房を入れて腕まくりするのは無駄だと考えることも、シャワーを浴びてから風呂に入るのに見てる人が不快に感じるかもしれないからかけ湯をすることも、どれも全部同じことである。

こんなことをいちいちルールにしていたら大変ですよ。ルール化することで、逆にルールさえ守っていれば何をやってもいいという考える連中も出てくる。僕の通った高校には校則が存在しなかったし、息子が行っている中学にもない。あるのが普通の規則でも、なきゃないでなんとかなるものだ。

千代田区の標語は、その後「マナーから、ルールへ。そしてマナーへ」と変更された。ウェブページには『罰則などいらない「マナーへ」の回帰を目指して、息長く取り組んでいく』とも書いてある。なんだ、わかってるじゃないか。

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