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プロメテウスの火に焼かれるCSOという職業

今年行われた RSA Conferece 2008 の集客用に、プログラム委員が持ち回りでITmedia エグゼクティブというところに記事を書いた。その原稿を再掲しておく。これはその2本目。1本目はココ

 前回は『パンドラの匣』のことを書いた。パンドラが開けてしまった匣(箱)からはあらゆる災いが飛び出し人間社会に広まってしまったが、最後に「希望」だけが箱から出ずに残ったため、人類は希望を失わずにすんだと言われている。しかし、実際にはパンドラの箱に最後に残ったのは「希望」はなく、「未来を知る力」だったという内容である。

 さて、パンドラと一緒にこの箱を開けてしまったのはエピメテウスだ。彼は兄プロメテウスの「ゼウスの贈り物は受け取るな」という忠告を無視してパンドラを妻にしてしまった。プロメテウスが天界から火を盗んで人類に与えなければならなかったのも、元はと言えば弟のエピメテウスが様々な能力を無計画に動物に授けてしまったため、人間に与えるものが無くなってしまったからである。プロメテウスはいつも不出来な弟の尻拭いをさせられている不幸な優等生の兄なのだ。

 この2人の名前で、プロメテウスの「プロ」は「前に」という意味、エピメテウスの「エピ」は「後で」という意味だ。「プロローグ」と「エピローグ」を思い浮かべればわかりやすい。後半の「メテウス」は、「考える」という意味なのだそうだ。つまり、兄であるプロメテウスは考えてから行動するタイプ、弟のエピメテウスの方は考えずに行動してしまって後で後悔するタイプということだ。

 セキュリティを考える時に、「リアクティブからプロアクティブへ」と言うことがある。何か事が起こってからその対応を考えるのではなく、その予兆を察知して事故を未然に防いだり、そもそも事故の原因となるものを予め取り除いておくべきだという考え方だ。とは言え、リアクティブな機能が必要なくなるかというと、そんなことはもちろんなく、どちらも重要なのである。

 考えなしに行動してしまうエピメテウスだが、その結果として人類には科学技術がもたらされたわけで、現在我々が享受している情報技術もその延長線にある。先のことがなんでもわかってしまうプロメテウスには、失敗を覚悟で冒険することはできないのだ。だから、エピメテウスも単なる出来の悪い弟ではなくて、兄弟が2人揃っていたからこそ、少なくとも人類の今日の姿があるのだとも考えられる。

 社長になるような人にはエピメテウス的な素養が必要なのではないかと思う。技術的な指導者としての CTO も多分そうだろう。しかし、CSO のような立場には、プロメテウスの慎重さと洞察力が不可欠である。プロメテウス的経営者とエピメテウス的経営者の間では、当然のことながら意見の衝突が起こる。そして、企業の利益を最大化しようとするベクトルと、様々なリスクを最小化するベクトルとがぶつかりあって、バランスのとれたところに落ち着くのが理想だ。

 ところが、技術的な分野だからということで、CTO とCSO を同じ人物が兼任することがある。こうすると、2つのベクトルの間での健全な衝突が起こらず、どちらかに偏った不適切な結論が導かれてしまうことになる。どちらの性質も兼ね備えたスーパーな人物がいればそれでいいかというと、案外これも問題である。その人の頭の中では違う人格が衝突し葛藤した結果結論を導き出していても、そのプロセスが周囲の人々には伝わらないからだ。

 情報技術は、現代人に与えられた「プロメテウスの火」だ。我々はその恩恵を享受する代りに、パンドラが開けてしまった様々な災いと戦わなければならない。それが現代のプロメテウスであるセキュリティ責任者の使命であろう。神話の中でプロメテウスは、ゼウスの怒りをかって、毎日大鷲に肝臓を喰われるという刑罰を受けることになる。CSO は辛いのだ。


プロメテウス関係の本はと探してみると「終末のプロメテウス」というSFがあった。内容はこの辺。絶版みたいだけど、1円で売ってるからとりあえず買っておこう。2冊買うとやっぱり682円かかってしまうのだろうなあ…

終末のプロメテウス〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

終末のプロメテウス〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

終末のプロメテウス〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

終末のプロメテウス〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)